七五三と数え年――“節目”を祝う日本の心

七五三を迎えた家族が秋の参道を歩く水彩画風イラスト。柔らかな光と紅葉が彩る穏やかな情景。
秋の空気がすっと澄んで、晴れ着の子どもたちが街を歩く季節。
11月15日は「七五三(しちごさん)」です。
手をつなぐ親と子の姿に、思わず心があたたかくなります。

七五三は、子どもの成長を喜び、これからの無事を願う日。
その根には、「いま、この命をいただいている」ことへの感謝があります。
派手な儀式よりも、静かに手を合わせるその一瞬に、
曹洞宗でいう「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」の心が重なっているのかもしれません。

七五三の由来――“無事に育つ”という祈り

七五三の起源は、平安時代の宮中行事にあります。
病の多かった時代、子どもの成長は何よりの喜びであり、祈りの対象でもありました。

3歳は「髪置き(かみおき)」――髪を伸ばし始める節目。
5歳は「袴着(はかまぎ)」――男の子が初めて袴を身につける日。
7歳は「帯解き(おびとき)」――女の子が大人と同じ帯を結ぶ日。

この違いは、身支度の節目に“生きる段階”を見つめ直す知恵から生まれたもの。
どの年齢にも、「ここまで無事に」という感謝が込められています。

今の七五三は、神社だけでなく、お寺やお墓の前で手を合わせる方もいます。
“感謝の祈り”は、場所を選ばない。
それは、曹洞宗が大切にする“日常そのものが修行である”という考えにも通じます。

七五三の支度をする母親と子どもの手元。朝の光が差し込む穏やかな情景。


数え年という考え方――“時間をいただく”という日本の知恵

昔は、生まれた年を「1歳」とする“数え年”の文化がありました。
お正月にみんなが一緒に年を重ねる――その考え方には、
「自分だけの時間ではなく、いのちを共にいただいている」という感覚がありました。

時間は、積み上げるものではなく、授かるもの
禅の言葉でいう「只今(ただいま)」に通じます。
“いまここ”にある命を尊び、過去や未来にとらわれず感謝する――
そんな心の姿勢が、数え年の根底に流れていたのかもしれません。

七五三の節目もまた、その「今を生きる」感謝の表れです。
いのちの流れを感じること自体が、祈りなのです。

家族が年賀状を眺める温かなひととき。日本の“年をいただく”文化を感じる水彩イラスト。


節目を祝うということ――“いのち”を見つめる時間

子どもの笑顔を見つめながら、家族みんなで「ありがとう」とつぶやく。
それだけで、目に見えないつながりが広がっていくように感じます。

おじいちゃんやおばあちゃんの祈り、
そして、そのまた前の世代の思い。
私たちは、無数の“いのち”に支えられて今日を生きています。

曹洞宗では、「身心脱落(しんじんだつらく)」という言葉があります。
“自分”という小さな殻を離れ、すべてと共に生きるという意味です。
七五三の笑顔の中にも、そうした“共に生きる”祈りが息づいているのではないでしょうか。

墓前で手を合わせる親子。秋の紅葉とやさしい光に包まれた静かな祈りの情景。


まとめ

七五三は、お祝いの日であると同時に、感謝の心を確かめる日です。
節目を祝うことは、「いま」という一瞬を丁寧に受け取ること。

手を合わせる時間も、掃き清める所作も、
すべてが静かな修行のようなものかもしれません。

“いま、この瞬間を大切にする”――それが、祈りの原点。

福てらす墓園は、そうした穏やかな心を整える場所として、
季節の移ろいとともに、訪れる方をやさしく迎えています。
お祝いのあとに、静かに感謝を伝える時間を過ごす場所としても、
きっと心が落ち着くひとときになるでしょう。

なお、福てらす墓園は 「宗教・宗派を問わない霊園」として運営されています。
どなたでも、信仰に関わらずご利用いただける環境を整えておりますので、ご安心ください。

福てらす墓園の様子


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(福田山 最林寺敷地内)

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